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新しい時代を生きる武士。

 2013-08-19
明治時代になり、数年前まで、攘夷だの狂ったように騒ぎててていた
のが信じられない日の本は、西洋風に変わっていく。

だが、上辺だけの倒幕運動は、結果的に国土を焦土とかし、侍の争いに
巻き込まれた領民には迷惑極まりない内乱も収まったのか?

それとも、革命の恩恵を受けられず、針がブレ、急回転した世の中に
順応できず、日陰者になってしまった旧体制(支配階級)の人間の
憤りもまた存在し、窮屈だと思っていた時代が懐かしくなり・・・
己の身の振り方を考えなくてはいけない。

そんな世の中になってしまった明治の時代。

さて、戦争など起こしても何もいいことなどない。誰が得をして
損をしたのか?そんなことは、のちの歴史家が勝手に推測し、考えれば
よいこと。

暴れたい一心で、好き勝手に戦争を起こし、勝者となっても
その後の人生がバラ色とは限らない。
むしろ、武力にて革命を起こし、旧支配階級を引きずり下ろし
旧体制、古き価値観を否定、習慣を否定し、新しい価値観を押し付け
新しい生き方を国民に強いる。

 これすなわち「革命」なりw

始まりから、歪が生まれ、淀み、次第に矛盾が生まれようと一旦
動き出した「新時代」は止まらないし止められない。
旧体制を打破し、新体制になったからといって、世の中がすぐに
順調に行くとか限らない。むしろ、脈々と続いてきたものを
木っ端微塵に吹き飛ばし、葬り去ったことで、すべてのことを新構築
しなくてはいけない。
信念もなく、理念もなく、これといった「理想世界」すらなかったと
思しき新政府にあって、戦争当時(内乱)から問題になっていた
「資金」=国庫の状態がいよいよ切羽詰った状態にw

革命戦士は、勝鬨をあげ、美酒に酔っている暇がないほど、現実に
向かい合わなくていけない。有能で野心的な革命戦士は権力の中枢に
引き寄せられ、内乱当時には大した武勲(武功)を上げられなかった
無能戦士は優秀な戦士が(恨みつらみを買い)次から次へと早死して
いく中で会っても、出世していくw

これは由々しきこと・・しかし・・・ものがない、金がない、人がいない
現状では、人材の発掘も・・・ままならず。倒幕派の権力抗争が激化
していくであろうと思う。

おそらくこれからが本番。それにしても、重ね重ね惜しいのは、旧体制当時
(内乱当時)若輩の年齢であったであろう「少年兵」が戦死していくさまは
たとえ、武士の子に生まれ、殿を守り、戦場で死ぬのは侍の宿命だとしても
・・・

彼らは若輩ゆえに、世の中の流れに、早くから馴染めたであろうと思うと

・・・現代の平和主義とか、価値観など全く相容れない世界で生きてきた
武士の子弟(子息)でも、うまく世の中に順応できれば、明治の世にあって
何らかの功績が残せたのではないか?と思うと残念でならない。

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維新回天の時代へ

 2013-08-11
旧幕府軍(東軍)と新政府軍(西軍)との戦闘も、篭城戦の末にまっていたのは
「降伏」であり、東北地方における戦闘は幕を閉じる。

さて、電子ゲームに毒された人間が戦争ドラマを見ていると、現実はこうなるん
だろうなと思いつつ、肝心の主人公が妙に張り切り、しかしながら戦場では
(男尊女卑)武士階級の人間とはいえ、戦うのは侍(男性)であり、オナゴは隠れ
ているもの(内助の功に努めよという)大方の予想どうり「ある意味の役割分担」
を担わされる。

それが結果的に、延命につながり、つい今まで通用した価値観が否定され
新しい価値観。生き方を半ば強制される時代を生きることになると
思うと・・・

「本当の意味での地獄はこれから」


それにしても、次世代をになったであろう若い侍が死んでいき
役にも立たない(責任を取らずに生き延びた)重役クラスの侍が
のうのうと生き伸びていく現実はいかんともしがたい。

ではでは。


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会津若松城落城~降伏~

 2013-07-24
新政府と旧幕府軍(会津藩)の戦闘を見ていて
気になっていたことがある。

なぜ、会津藩の殿様の陣羽織は全く汚れず
全くの新品、まるでどこかの博物館に
おいてあるような・・・

すごく綺麗!

対して、家臣一同の甲冑はあんなにも汚れて
いるのか?
まずは、そこから違和感が・・・。

無精ひげをはやしていても、ホコリ一つない
泥にも塗れず、とても「過酷な籠城」している
雰囲気がない。

それに比べて、家臣一同及びその家族の悲惨な状況は
(ある程度の表現を抑えているとしても)それなりに
伝わってくるし、まるでロケット砲による砲撃みたいな
演出に??となっても、視聴していて、坂の上の雲の
二百三高地の攻防(日露戦争)で見て演出だと思うと
もう・・デジャブ!ww

ああ、第一部が終わったのかと思うと、このあとは
西南戦争はやるのだろうか?でないと、もう派手な
戦闘シーンは望めない。
まさか、八重が官軍になって、田原坂ほかの戦場に
赴き(会津藩にとって憎き)薩摩兵児と戦うとは
思えないし・・・・

すいません。無双のやりすぎかwwww


(ーー;)

でも、俺にとって、こうした幕末の動乱~
明治初期の歴史は知らないことが多くて
勉強になる。

そういえば、あの尊王攘夷の発祥の地?水戸藩は
何をしているのか?
いま、水戸藩関連の書籍を購入して読んでいる。

また感想を・・・書きたいなと

ではでは。



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自慢の娘

 2013-07-15
八重の桜を見ていると、軍制改革をした割には、トップである「藩主」様は
旧態依然の古の甲冑姿で、陣中におり、家臣一同もまた(一部を除き)甲冑
姿・・・。

対する新政府側の司令部(敵方)は、西洋風の(一部日本流の。。)服装で
装備もまた西洋軍隊。
指揮官及び一般兵まで統一(たとえ、史実では不統一であろうと)劇中
においては西洋になっている。

既にこの時点で、勝負ありと言える。

最初見ていた時には、会津も気の毒にと、若干の同情心を持って視聴して
いた俺だが、回が進むにつれて、ムカムカしてくる。

「花神の大村益次郎」で、描かれている(長州視点)長州征伐時
なぜ幕府軍が大敗したのか?という反省点が、全く戊辰戦争
特に、最終決戦において、生かされていないことに腹が立つ。

たとえ、その反省点から、一部の改良が行われたとしても
それによって得られる成果は、優秀な指揮官がいる部隊が展開している
戦場に限られてるわけで。

何だか、侍という身分にしがみつき、変わることが恥のように振舞って
いるさまを「武士道とは・・」と言われても、徒花にしか見えない。
たとえ、そうした生き様が「美しく」見えるのであれば・・俺は
そうではないと思う。

たしかに、一人西洋風の軍服(南北戦争の中古品?)をした人物が率いた
部隊が、局地的であれ、それなりの戦果を得て、敵の侵入を防げたとしても
他の味方部隊が惨敗しては、せっかくの戦果も生きてこず、その点では
気の毒であり、妙なところで、違和感がある。

口では西洋式の軍隊にするといい、でも、現実は中途半端な軍事改革に
終わり、家老クラスは相変わらずの、古の(戦国時代の甲冑姿で出陣)
価値観を晒し、柔軟性のある若い世代は、ためらいもなく新式の軍隊に
脱却・・・?している。

やっぱり、変だ。過渡期といえば済む話だろうけど・・・。

敗戦濃厚な状況になってしまうと、薩長ほどの内部抗争とは言わなくても
頭の固い(固定観念、価値観になんの疑問も、不満も感じないほどに平和
ボケしたサムライ)上級武士を一掃(排除)していれば(穏便に?世代交代)
もし、戦国武将くらいの野心があれば・・・ここまで一方的にやられる
こともなかったのでは・・などと勝手に想像する俺。

せっかく、ご立派な藩校を作り、小難しい学問を教えても・・・
今で言う「洗脳教育=人格形成?」が、全く役に立たないと現実。

花神(大村益次郎)で、侍は、侍らしく死ねというが、百姓はそんなことは
考えない。・・と(うら覚え失礼)という台詞が出てくる。

現代人として、命あってのと思うところも、忠義というものに縛られ
前途ある若者が死に、老害(やくたたずの家老)は生き残る現実。
そして、敗戦後にはさらなる厳しい現実=廃藩置県、廃刀令が待っている。

ふふふふ、この劇を見ていると、その時代に後に、徴兵制が変わった
理由もなんとなく見えてくる。

誰に忠義を尽くすのか、国か、藩主様か・・。富国強兵を目指す上で
国家に対して忠義を尽くすべきであり、幕藩体制など無用の長物。
まっ、新政府の「権力者」は元々、しがない下級武士や、日陰者の
公家なんだが・・・。なんだかな。

では、あの敗北の原因はなんだろうかと考える。

旧態依然の価値観からの脱却ができなかったことか?
それとも、飛び道具の時代に、槍刀による白兵戦を挑み
結果的に、戦意喪失する羽目になったからか?
それとも、戦争のやり方が変わる「変動期」を読み違えて
満足な補給も、人員補修もできず、ジリ貧になったからか?

いや違うと思う。

徳川宗家の将軍様が戦意喪失するほどの負け戦=反攻しても
勝ち目がないこと。

そんな情勢下の中、倒幕派(薩長及び諸藩)の戦力と
その軍事力と、自藩の戦力差をトップがわかっていない段階で
負け戦確定だろうなと・・・。

ではでは

それにしても、前回のヒロインが敵兵を撃ち殺そうとして
回想シーンが出てきて、躊躇い棒立ちになったシーンは
「あまっちょろい現代感覚の平和主義の描写」なんていらない
と思った。
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雲霞の如く

 2013-07-08
N○Kで絶賛放送中の「八重の桜」を見ていると、いろいろなことを
教えてもらっている俺。つい最近まで権力の中枢にいた勢力が
いつの間にか、朝敵になり、いつのまにか、本拠地にまで攻め込まれ
三国志でいう「~勢力の滅亡」になろうとしている会津松平。

さて、昨日放送されていた「~突破せよ」を視聴していて、つくづく
さすがN○Kだなと思った。

使用されている撮影機材から、当時の雰囲気を感じさせる演出
派手な戦闘シーンの発案から制作・・俺みたいな素人でも「なんとなく
その制作レベルの高さ」そして、その意気込みは
製作技術のすごさに見え隠れしているようだ。。と褒めてみるw

それはともかく、新政府VS旧幕府側、両者の使用されている
火器(重火器及び軽火器?)の戦力差が如実に表現されている
今回の大河ドラマ。
このドラマを見ていると、武器の違い(装備品)進軍の速さ
司令官(現場の指揮官)の能力差、軍備の桁違い・・など
列挙すればキリがないほどの違いが表現されているが、ちと
気になることが。

別に、「銃は人殺しの道具だ」というセリフに対して
ヒロインが戦場で回想して、棒立ちになるシーンとか
唐突に~獅子が敵(新政府)の包囲を突破し、入城した
シーンとかを突っ込みたくなる気持ちを必死に抑えて・・
あえて書きたいことが。

新政府の進軍の速さ=領民の裏切り(道案内)を全く考えていない
松平家家臣団の認識度(領民の忠誠心低下)はお粗末だと思った。

武器が違いすぎる=もっと早く、軍制改革をすれば!

進軍は早すぎる=斥候はどうした?敵の進行進路なんて
        わかるだろうに。橋という橋を叩き壊して
        ある程度の・・進撃速度も・・
と、今の時代になって(ど素人が)考えられるのだから
専門家ならもっと有益な手段があっただろうに・・

つーか、徳川宗家に変わって代理戦争をする意義は・・と
行き着く先は、問題の始まりが全て・・・京都にあると
思うけど、今となっては、ifなど考えても虚しいだけ。

やはり、金がなければ、武器調達もままならず
    人がいなければ、戦もままならず
    外交力がなければ、亡国への道が開け
    情報収集及び解析及び分析
    及びそれらを生かした政治決断が
    できなければ・・・滅するのみ。

    こう考えていると、三国志で描かれている 
    覇者と敗者の違いが、全く変わることなく
    時代が変わっても、結果的に同じだと。
    
    今回のN○Kの大河ドラマを見ていると
    それら教訓がこれでもかと、思い知らされる気が
    する。

    ( ´ ▽ ` )ノ






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日本と支那の大河ドラマの違い。

 2013-06-23
日本の大河ドラマに慣れていると、海外(主に支那制作)の
大河ドラマの不親切なこと、説明不足な作りには驚かされる。

元になったであろう太古の歴史書物の記述から、ひとつの
ドラマとして作ることは大変なことだろうとは思うものの・・

ひとつ言わせて欲しい。

「誰がどこの勢力で、現代で言うどこの場所」なのか?
わかりやすく地図などを使って、視聴者に説明しなさい!

(してください)と。

その点、日本の某N○K制作では、懇切丁寧に説明が入る。
おぼろげに、なるほどと(それなりに)理解できる。

今回のN○K制作の大河ドラマ「八重の桜」でも、CGを使った
官軍の進路が説明されていたし、劇中でも「陣中?」において
地図を広げて、~を抑えて、~に向かうと説明口調になっている。

それに対し、支那製は中共検閲を通過し、共産党批判を連想
する構成(表現)は差し控えられ、ただひたすら
強欲で極悪非道で、猜疑心のつよい君主ほど・・・滅びるw

その代わり、忠義心、正義の人、慈愛、人徳という表現は
これでもかと言わんばかりに「過剰に擁護」する傾向が
あるように思う。
裏を返せば「支那社会の悪しき風潮」を批判しているのか?
と思ったり。俺の考えすぎか??

まあ、大陸性のドラマ内容は、間違えても「反戦、平和、協調」
などという「西洋のキリスト教」が布教している上っ面の正義感
を振りざした内容になることはない。

それに・・・

武装勢力(支配階級の)の子息が戦闘に巻き込まれても
悲劇的だのとは言わない。

むしろ・・淡々と人づてに「戦死しました」と表現するに
とどまるだろうと。

まあ、人それぞれ、受け止め方、感じ方はあるとは思う。

ではでは。
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点と点がつながるとき。

 2013-06-17
八重の桜を見ていて、今まで腑に落ちなかったことが解決した。
そんな気がした。

さて、幕末~明治の期間では、幕藩政治(武士階級による支配)が
瓦解し、御一新としての政治がなされるにいたり、古きものから
あたらしいものへと変わる際に(変えられるとき)古いものを否定し
新しいものを導入しようとするとき、何を変えるべきなのか、変えねば
ならないのか?と旧来のしきたりを否定し、それに取って代わるものを
作り考えなくてはいけないと思う。

その際、派手にドンパチをし、計略を巡らし、敵対勢力を駆逐し
自分たちの目指す(自分たちのやりやすい世界に)世界を構成する
ひつようがあるわけで。

力のないものは、その軟弱な体と引き換えに、陰湿な思考を巡らし
謀略の限りを尽くす。
これはどのような世界観であっても通用する話で、腕っ節のある
豪腕武将など活躍の場が減っていくであろう倒幕運動の果てに
待っているものを考えると・・・・・

能力のあるものほど、有力政治家と(倒幕側及び佐幕派に関係なく)
それなりにつながり(面識があり交友関係が有り)を持ち、重用される。

それこれも、有能なサムライほど、無能な人間の妬みの対象に
なっては消えていき、戦乱が収まった時に、その能力をいかんなく
発揮できる場を得られる優秀な人材発掘、登用される人材も
微妙に世代交代して(戦乱の頃は若輩者、留学中)藩閥政治の恩恵を
受ける前の世代。

そして

鳥羽伏見、上野、北関東・・・新潟戦争・・・戊辰戦争、函館戦争と
内戦の舞台が移っていくに従い、内覧状態の収拾と、これからの世を
示していくことが大事になっていく。

では・・海外に留学して、そこから得た知識、経験を、そのまま
活かせるのか?

無理でしょ?うん

まず、こーするべきだ。このようにすべきだ(改めるべきだ
目指すべきだ)と、体の頭から、足の先まで、封建時代に染まった
下級武士に考えることなどできまい。

では、だれがそれを示せるのか?

あの有名な坂本龍馬か?

いやいやちがうでしょう。もっと具体的に、抽象的な表現ではなく

頭の固い武士、のらりんくらりんと生きてきたお公家様でも
理解しやすいもの、おぼろげに「ある種の理想世界感」が見えそうなもの

そう!

山本覚馬『管見』

やっとわかったきがする。点と点がつながった気がした。

だって、翔ぶが如くでは、第一部から第二部へ行く時。。。

いきなり馬車が来て、西洋風の建物があって、西洋風の服装で

あれ?つい最近まで、散々、狂ったように、尊王攘夷って
のたまっていたのはだれだ?ってつっこみたくなったものww

やっとわかった気がした。

八重の桜で、牢屋に閉じ込められている「汚いなりをした」サムライ?は
誰なんだろうって思っていたが、昨日見ていて、その疑問と、その人物の
重大性(重要性)に気がついたw

いい勉強になった。ありがとうN○K様w

ではでは
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