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微弱な関係

 2009-02-21
それは、インターネットで知り合ったとある人物の一周忌を迎えた日の事。
インターネットのブログで、今は亡き人物が居住していた地域(地方が)
偶然、俺の住んでいる地域と同じであることを知り、微弱ながらも
「接点」を見出すことが出来た。

通常、インターネットは、匿名に近いものがあり、互いに素性など知らず
ただ、パソコンの画面上で、レンタル日記、レンタルブログ等の記事に
コメントをしたり、インターネットゲーム上の「チャット」などでのみ
会話が成立する。

だから、今会話している人間が、何処の誰なのか?など気にする必要も
性別や年齢、家族構成等などに、関心など持つことはない。
「こんにちは」と「さようなら」で、一つの会話が成立する世界。

その地に辿り着き、その地に降り立った理由も、人それぞれ、干渉することも
干渉される理由など存在しない。だから、人は孤独。
孤独ゆえに、他人のことに一々、関心を持つ理由にもならない。
「俺の味方は俺だけ」「俺以外は全て敵」といった具合に、非常に狭く
卑屈に成りやすい世界でも、他人との共通点を見出せるときに、初めて
基本的なところで、話が通じる人間と出会えたと感じる場合もある。

だが、微弱ながらも、一つの共通点を見出すとき、他人に対して
関心を持つ動機が生まれる。
同じ趣向の個人のブログを閲覧し、掲載された記事にコメントを
書く行為一つをとっても、「接点」を作れるのだが・・・。
所詮は匿名。
相手のこと(素性)まで、知りたいとか、どんな人だろうか?と、思うことが
あっても、それは一時的なこと。長続きなどしない。

もし、微弱な共通点のみで、故人と親交を深めることが可能であったと
しても、自身の素性と、他人の素性を知ることになるし、当時の俺に
そこまでの覚悟があったかどうか・・・たぶんなかっただろうし、
これからもない。

そして、ネットゲーム内で会話した記憶もなければ、個人開設(無料ブログ)
ブログの記事に数回のコメントを書いたのみの間柄。
そのていどの間柄では、今は亡き故人と親しかったです等というのは
あまりにも不自然。そして、それは、故人に対し、失礼である。
だから・・・一周忌にあたる日に、ネットの世界にログインし、関係者の方に
TELLを送ったものの、どのような会話をすべきか迷った。
故人を偲ぶ思い出など無く、あるのは「微弱な共通点」のみ。
適切な言葉も、かけるべき言葉も見出せず、中途半端な会話に終わって
しまった・・・・・・・。

口八丁な俺だが、「現実」と向き合うとき、ボロが出る。
なんと言うべきか・・・。所詮、微弱な共通点があると思っているのは
俺だけで、単なる自己満足。
現社会での付き合いも無ければ、インターネット上のブログと言う
ツールで、相互リンクを張っているだけ。
俺と、故人とを結びつけたものは、インターネットゲームのユーザー
であり、ブログを書いていたもの同士であり、居住地が同じ自治体
であった。単純に三つの理由。
だから、ゲーム中で会話をしていたほかのユーザーの人とは違って
故人を偲ぶ言葉など、出てくること事態「偽善者」だと俺は思っている。

そんな、微弱な関係であった故人と、生前コンタクトを取った記憶が
無い俺が、今での後悔しているのは、訃報を知った頃と変わらない。
いや、あの頃から俺の中で一つの意識が変わった。
「ネット上で知り合った人間」との関係は、よほどの危険人物でない限り
現社会との関係を、切り離しても、大事にすべきだと。

微弱な共通点を見出し、相手との親密になろうと思っていた矢先に
訃報を知った。
現社会のおける「別れ」とは違う電脳世界での「別れ」
故人(関係者を含め)のことを全く知らないし、相手も知らないのだから
本来であれば、気に留める必要など無い。

だが・・・・。微弱な共通点を持つ人物を出会うことが、稀な世界で
そうした人物とであったことで、もう少し、話をすることを積極的に
何故、出来なかっただろうかと、悔やんでも、悔やみきれない。
それが一番、後悔していること。


                             HN板カカオ9割。
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