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記録は自信の表れ。

 2007-09-02
MADの場合、腕に自信のある「猛者」=職人(プロ?)が
著作権等に抵触しようが、自分の作りたい世界(想像)を
表現し、その作品を公開して初めて、不特定多数の人間が
MADを見た上で、判断する。

顔の見えない人間の趣向に合おうと会うまいと
それはそれ。作った人間が自信を持って発表
したのであり、閲覧者は、ただ画面に流れるMAD
を眺めるだけ。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

では、ねとらじの音声データーを、欲するのは何故?
聞いてみたいと思うのは何故?

それは、リアルタイムでは聞けないことが殆どで
記録として残しておかないと、ラジオの存在
そのものが・・・残らないから。
それに、MADは、たとえ非公開であっても
「作る」ことによって、曖昧な記憶ではなく
記録として残るのに対し、ねとらじは、放送する
人物が「意図的に」保存する以外に、記録として
残らないことが多い。

よって、ねとらじの番組を流すと言うことは
MADの一作品を作るような感覚、意識を持って
放送するかしないかで、記憶が、記録として
残るかどうか・・・怪しいものだ。



だから、どんな番組だったのか?
確認をしたくなるし、その番組が自分の趣向に
あったものかどうか?リアルタイムで聞く前に
判断する貴重な確認方法と言えると思う。

映像よりも、音声の報が赤裸々で、より現実的な
モノが見えてくるので、番組の世界が見えてくる。
また、実際に顔を晒すわけでもなく、音声だけで
話している人物に関心を持つ場合もある。

まあ、聞いてみて、単なる雑談を垂れ流して
いるだけであっても、番組の出演者の力量を
随所で確認も出来るし、記録として残すと
言うことは、製作者の自信の表れとも言えるかなとw。

なんちゃってね^^;

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