ねとらじの森を歩けば・・

 2008-01-17
ある日のこと、ねとらじ@DOLの某ねとらじ人気MCが
舞台から降りた。

たいていの人間は、復活を望むとか、また会いましょうとか
言うのだが、そもそも、ねとらじは、個人の趣味の領域を
超越することはない。胸を張って、俺、私はねとらじを
流していますと、職場、ご近所、学校等で公言できる人間
がどのくらい存在するか?

こそこそしたり、びくびくしたりするような趣味?で
なくても。。。。公言することは憚れる・・・
それが「ねとらじ」の現実であり、あくまでも限られた
個人がネットの世界で流す、ネットラジオ。.

ねとらじを、流すことが好きな人間、聞く人間の二種類しか
いない世界において、人間は刺激や興奮を忘れていくもの。
過度な期待も、いつしか、それが当たり前になっていく。

ねとらじを流す前のPC環境の設定、ゲストとの会話、
リスナーからの反応など、表からは見えてこない苦労も
現実社会、絶え間なく流れる時間の中、MCもまた
個人の時間を作り、その合間に、ネットラジオ放送をしている。

時間に追われ、今すべきことを考えて生きている。
それは、皆同じこと。

だから、個人の時間が作れなくなったり、生活環境が
変化することで、MCの中で「ねとらじ」に対する
意味もまた変化していくと思う。

定期、不定期と言った放送形態を問わず、放送をすることに
疑問を感じたり、疲労感を感じるようになったら・・

そのラジオは終わりを告げる。なーんて考えてみたり。

俺は、気の利いた言葉なんて思いつかず、空気を読まない
書き込みが、俺のキャラクター。

でも、そうした「ねとらじMC」には、一言だけ告げる。

「放送お疲れ様でした」と・・・

そして、新たに放送を始める人には

「ねとらじを流すことを楽しんでください」と声をかける。

ただ、それだけ。基地外カカオが言えるのはそこまで。

所詮、馴染みの無い人間が、労いの言葉を言っても
本当の意味で、MCに対する「労い」になるかは
話は別。他人の苦労とか、苦しみなど知る術はないし。
知ったところで、俺のブログのネタになるだけさww
このブログは悪趣味だからね

それに、相手も、なじみのない人間に、知ったような口を
叩かれても困るし、嫌だろうって、沸点の低い屑野郎が
何をホザクと言われても、俺は別に構わないさ。
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