ネットラジオで、話をすることとは。
2007-09-02
俺は、とある「ねとらじ@DOL」の録音ファイルを聞きながら、ネットラジオで、雑談をする際の
当事者同士(出演者)による意思の疎通が、いかに
重要性を持つものなのか、考えさせられた。
当事者同士の親密度というものは、互いに特別意識
しなくても、何気ない会話で見えてくる。
その会話に含まれる「思いやり」もまた相手を
どう思っているかによって、言葉のキャッチボール
の円滑な進行に影響を及ぼすものだと思う。
例えば、饒舌な人物と、朴訥な人物との会話において
思ったこと、言いたいことがストレートに表現できる
人物と、何を言うべきか?どう答えるべきか?などと
思慮深く考えて答えようとする人物とでは、互いの
会話のスピードなど合うはずも無く、互いに言いたい
こともまた、伝わらない。
それが、イライラにつながる。そして、不安を招き
表面的な(ネットゲームつながりの友人)友好関係
の仲間との軋轢へと・・行かないことを祈りたい・・
第三者が、聞いていて、そう感じるのであれば
当事者同士、その場の雰囲気を打開しようとする。
閉塞感に陥った雰囲気を、変えようとするもの
会話をしているものと、腹を割って話をしようと
手を差し伸べて、相手を招きいれようと試みる者
逆に、その場の雰囲気を無視して、番組の進行を
続行するものなど、正に、十人十色の個性を
見る思いであるw。
会話の糸口をつかもうとする場合、相手が何に対して
関心を持っているのか?また、得意な分野を探したり
互いの共通の話題を探したりと、何も考えずに雑談が
出来れることが望まれること・・でも・・・今流され
ているのは、ネットラジオで交わされた会話。
日常生活で交わされる会話とは・・ちょっと雰囲気が
違っていくると思う。
では、掲示板の役目を考えてみたい・・・
何故掲示板にお題に設定し、書き込みを
誘導するのかと言うことを・・・
それは、共通の話題を作るから。。話題が合えば
話し弾む・・ってことだろうね。たぶん。www
記録は自信の表れ。
2007-09-02
MADの場合、腕に自信のある「猛者」=職人(プロ?)が著作権等に抵触しようが、自分の作りたい世界(想像)を
表現し、その作品を公開して初めて、不特定多数の人間が
MADを見た上で、判断する。
顔の見えない人間の趣向に合おうと会うまいと
それはそれ。作った人間が自信を持って発表
したのであり、閲覧者は、ただ画面に流れるMAD
を眺めるだけ。
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では、ねとらじの音声データーを、欲するのは何故?
聞いてみたいと思うのは何故?
それは、リアルタイムでは聞けないことが殆どで
記録として残しておかないと、ラジオの存在
そのものが・・・残らないから。
それに、MADは、たとえ非公開であっても
「作る」ことによって、曖昧な記憶ではなく
記録として残るのに対し、ねとらじは、放送する
人物が「意図的に」保存する以外に、記録として
残らないことが多い。
よって、ねとらじの番組を流すと言うことは
MADの一作品を作るような感覚、意識を持って
放送するかしないかで、記憶が、記録として
残るかどうか・・・怪しいものだ。
だから、どんな番組だったのか?
確認をしたくなるし、その番組が自分の趣向に
あったものかどうか?リアルタイムで聞く前に
判断する貴重な確認方法と言えると思う。
映像よりも、音声の報が赤裸々で、より現実的な
モノが見えてくるので、番組の世界が見えてくる。
また、実際に顔を晒すわけでもなく、音声だけで
話している人物に関心を持つ場合もある。
まあ、聞いてみて、単なる雑談を垂れ流して
いるだけであっても、番組の出演者の力量を
随所で確認も出来るし、記録として残すと
言うことは、製作者の自信の表れとも言えるかなとw。
なんちゃってね^^;


