ふと、振り返る。
2007-08-11
おれ自身、ねっとらじお=ねとらじの存在をいつごろ知ったのかさえ、覚えていない
でも、存在を知ったときは、番組内での話しに
多少戸惑いながらも、楽しんでいたようにも
思う。
耳の方が慣れてくれば、今度は、書き込みを
してみたいと思うようになる。
でも、最初の頃は、何を書くべきか、恐る恐る
書き込みをしたような記憶も残っている。
あの頃(聞き始めた頃)は、増長する勇気も
自意識過剰にいたることも無くひたすら
(ゲームをしながら)ネットラジオを聴いて
いたような気もする。
それが、今じゃ〜大航海オンラインゲームも
半ば休止・・と言うより、長期課金停止の
反動で「気楽に入り浸る」体験垢でうろつく
有様・・情けねえ・・
もっとも〜、その世界の住人で、お花畑で
蝶々と戯れて、その世界の楽園にどっぷりと
浸かっているときは、ネットラジオなんて
まったく気に留めていなかった。
でも、その世界の住人の洗脳が解け始めた頃
から立ち止まる回数が増えた。
専用のHP?の存在を知るまでは、PCによる
シャウトで知ったアドレスにアクセスしては
その番組の放送を楽しみしていたものだ。
だが・・・月日が経つと、無駄に耳が肥えてきて
(慣れてきて)反吐が出そうな屁理屈をこねる
始末・・・あほ草・ぷげら。
人間、にわか評論家になることは、簡単なんだが
一度自分の意見が正しいなどと思い込むと、痛い
いや、痛すぎる存在になっていく。
そんな身勝手な意識が木っ端微塵になったとき
てめえの自身の本体を見つめることになる。
ばかじゃねえの・・・てめえは・・・
調子に乗るな・・ってね。
過度にのめり込んでいたことで、見えなかったこと
聞こえてこなかったことが、時間と、距離を置くことで
考える時間を作ることが必要となる。
だけど・・・後先考えずに書き込んだことが、後々
他の人に不快にさせること?などと「配慮」が足りない
ことに気がつくことも・・うむ。
言葉の暴力、文字の暴力、それがまた、凶器に変わる。
己の未熟さを思い知ること、後悔することも・・シバシバ


