「ねとらじ」における実況中継の意義
2006-07-28
最近、DOL系統の「ねとらじ」番組では、ユーザーイベント又は「公式イベント」の実況中継が多く見られるように
なってきた。
そうした実況中継が、単なる「ネタ切れ」による悪あがき
なのか?それとも、本当にその場の興奮、臨場感を伝えたい
一心で「ねとらじ」番組として放送するほどの価値があるか
どうかは、DJとりすなーの意識の違いが見えてくる。
そして、DJ自身は、PCの画面に見ながら(効果音を垂れ流しつつ)
一生懸命に「実況中継」をしているらしいが・・・
逆の立場=その場にいないリスナーは、至って冷静、醒めて
聴いているので、その場の雰囲気が伝わっているかど言えば
そうでもない。
逆に、イベント会場の「異常な興奮」とは、一定の距離を
保っていることもあり、その場の雰囲気に呑み込まれることも
ないのである。
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ねとらじ雑感 Ⅱ
2006-07-23
DOL関係?の人気ネットラジヲ番組が、休止して番組表の表示が(一時的であれ)虫食い状態を
見ていると、その番組の影響力の大きさに
今でも、驚きを隠せない。
しかし、番組の移動等によって、放送時間の空白が
必ずも衰退の一途を辿るとは限らない。
むしろ、番組改編などによって(大きな切欠)既存の
番組の影響を受けたPCが、数名の協力者を募ったり
単独のDJによって新番組が立ち上がっているようである。
(定期、不定期に関係なく)
だが、ネットゲーム内で知り合い、互いの素性も知らぬ
間柄で(番組の継続などの観点からして)果たして
継続的尚且つ、個性的であり、中立的な番組を創っていけ
るかどうか?と言った一歩踏み込んだ問題の発生は
いずれ、起こるだろう。
個人で放送している場合と、数名の同志(協力者)で
放送しているとでは、ばらつきが見られるのも確か。
疲れ果てて、自然消滅するか・・・
惜しまれつつ、自己都合などにより、やむなく幕を引くか
・・・・。人それぞれである。
ねとらじの質を考える。
2006-07-15
一人、PCを前にして、ボソボソと喋っている光景は「ネットラジオ」放送中であっても、事情を知らぬ
者の目には「異様」に映ることだろう。
ましてや、両親と同居しているとなれば尚更。
さて、CJは孤独だ。常に、風に吹かれ揺れ動く
蝋燭の火の如く・・・・揺れ動いている。
ごく限られたリスターに対して、話しかけている
としても、現実社会と向かい合っていれば
何かしらの摩擦、トラブルとも立ち向かい
仕事をこなし、学業に励んでいる。
ねとらじCJの適正。
2006-07-11
ねとらじを流すには、専用のソフトとマイクさえあれば直ぐにでも放送できる。
例え、実際の職業が、人前で話す職業でなくても
ましてや、放送関係の仕事に就いていなくても・・である。
玄人、素人に関係なく、伝えたいこと、話したいことが
ハッキリさえしていれば、ねとらじ番組を流す上では
ハードルになることは無い。
だが、不特定多数のリスナーが聴いていて、不安に感じたり
不満に感じたりする「CJ自身の不安要素」の払拭とは
いかないだろう。
まず、篭ったような声で話したりすることもなく、アシスタント
との対談でも、「不要な間」を作ることは避けねばならない。
その点、「経験者」=玄人CJは、対談時における聞き手としての
「上手さ」とか、話し手としての「流暢な話し方」等、話術が
巧みである。
玄人CJの番組は、新鮮味が乏しい反面、ねとらじの番組として
不特定多数のリスナーを、惹きつける。
多くのリスナーを確保できても、リスナーは、更なる向上を
求め、様々な「要求」をしてくるだろう。
そうした時、玄人CJ=職人の真価が問われる。単なる気まぐれ
CJなのか?本当に、ねとらじを愉しむつもりなのか・・・。
無論、単なる「対談方式」に拘らず、CJ自らが発起し、ユーザー
イベントを企画するのも「一つの手」である。
それは、マンネリ化の打破と、緊張感の維持にも繋がるだろうが
他のねとらじ番組を意識した「個性の主張」に固執していると
本来の個性が埋没する恐れも出てくる。
それよりも、まず「知名度の確保」と、話術の向上を心がける
ことで、個性を磨くべきかも知れない。
ねとらじ掲示板考察 後編
2006-07-03
ねとらじの番組を、試験的に放送したことがあるがこれが、慣れないうちは「不思議な感覚」を覚える
もので・・・。
一人で、誰からも反応が無いことは寂しいなどと思って
暫定的に設置してみて、書き手側になって書き綴ること
には、なんの躊躇いも、配慮も無く書けるものも
逆の立場になって(管理人?)レンタル掲示板を設置
すると、匿名の書込みに対する「冷淡な感想」と
「熱烈な歓迎」が入り混じったものを感じた。
要するに、PCの画面と、マイクから発している
己の「聞くに堪えない声」が響く個室は異様な?風景
なのだが、心の何処かでは「反応が欲しいなと」考えて
いるわけで・・・。
無論、匿名にて書かれた反応が、強烈なパンチであれば
それらを食らった日には、・・・・げふっと倒れる。
ねとらじ掲示板 雑感。
2006-07-02
DOLのねとらじでは、関連した掲示板若しくはブログが設置されている場合がある。
たいていの場合、それら掲示板等で、番組情報を書き込んで
音声以外の「情報発信」が行われている。
星の数ほど有る?ねとらじでも、リスナーとのコンタクトに
積極的な番組と、一方的に流すだけの番組が有るようで
人それぞれである。
リスナーのコンタクト=番組内での発言等に反応することで
一時的であれ、リスナーも「書き込み行為」で番組に参加
することが出来る。
ただし、幾ら(掲示板に書き込むことで)参加していると言って
も「匿名」で参加している内は、所詮は「名無しさん」に過ぎない。
出汁の効いたネットラジオ。
2006-07-01
何かの機会に、ネットラジオの存在を知り、興味半分で聴いてみて、楽しそうだなと思った瞬間から、リスナー
として聞き尚且つ、いつかは自分も・・・と思うが
実現までには、いくつかの関門を突破せねばならない。
それでも、多人数会話システムに参加する為には・・・
などと思うと、自ずと「スカイプ」にも関心を持ち、機材
等の購入を検討するようになる。
無論、スカイプを購入しても、掛ける機会が無ければ
無用の長物か、「投資の無駄」になる恐れも出てくる。
「孤高のMC」としてネットラジオを、数回流してみて
感じたことは、一人よりも、二人・・・と言った具合に
ラジオ番組内における、MC自身の負担を減らすことを
まず考えるべきだろう。
見ず知らずのおっさんが話す「独りよがりな意見」よりも
複数で話す話題の方が、意外と「客観性」が出てくる。
その客観性こそ大事で「独りよがりな意見」を延々と
垂れ流すべきではない。
流している本人は、「大いに満足」しているが、聞いている側は
ウンザリという具合に・・・^^;
まあ、嫌ならスイッチを切れば済む話でもある。
やはり、ラジオ番組には、何かを伝えたい言った
堅苦しい考えよりも、「気心の知れた仲間でワイワイ」と
楽しく流して欲しいもの。
もし、これから、DOLに拘らずネットラジオ番組を立ち上げよう
とする「勇者」がいるならば、積極的にスカイプを利用し
出汁の効いたラジヲ番組を作って欲しい。と願うばかりである。