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足跡をたどれば~

 2013-01-09

俺は基本的に、清書として残した記事(昔はよく消したり修正をしたが)
には、手を加えない。
だから、書きなぐって、アップロードしたあとは、その記事を読み返す
ことはしない。

ただし、例外がもある。

通りすがりの人(珍キーワードでたどり着いたと思しき迷い人)が
俺が数年前に書いた記事に辿り着き、読んでいった時には、何を
読んでいったのかと思って、読むことはある。

そして、数年前に(己が)書いた記事を読んでみて、たいていの場合
何をそんなに必死になって、自己主張をしていた?と呆れることが多い。
というよりも、自分が書いたものを読み返して、不思議な気分になる。

はて、迷い人の、目的はなんだだったんだろうかと。

俺の書いた「駄文」が、首尾よく目的は達成する手助けでもできたのか?

それとも・・・・

今に傾向ではなく、昔書いていたような傾向で書けという、叱咤激励
だったのか?

それとも、何を気取って書いているんだ。昔のお前は、キチガイじみた
文章を書いていだろうが!と、メッセージなのか?

人様の役に立つような内容など書いていない「あばら屋」のごとき
ブログゆえに・・・いろいろと考える俺。

見知らぬ迷い人に感謝などする気はないが、あえて言うならば
記事のネタをありがとうというべきかなw

ではでは
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ブレるとき。

 2011-01-30
世の中、さまざまな種類、趣向のブログが存在する中
インターネットゲームのブログを書くことは、簡単な
ように思えて、実は難しいことではないかと思うように
なってきた。

書き始めのことは、深く考えず、単なる思い付きで
書いているから、労せず小細工しない思考によって
生み出されたことで、ある意味、純粋な書き物になる

でも、ひとたび、他人の目を気にし始め、自分の書いた
記事を「とある閲覧者」としてみてみると・・・

何かが変わる(かもしれない)

そして、自分の書いたものを読んでいるうちに、違和感を
覚えたり、不快感を抱き始めると、ここで書いていることは
本当に自分の本音とか、思ったことが書かれているのかなと
ブログのありかた、存在意義とか・・無意識に抱いていた
絶対的な自信(笑)が、単なる傲慢で、他人の意見とか
思想を受け入れていなかっただけの「独りよがり」に過ぎない
ことを痛感させられる。
確かに、見方を変えれば、独創的で、個性的な「考え」だと
いえるかもしれない「書き物」であっても、人様に目に触れない
ように、あっかんべーをしながら書いただけの罵詈雑言を
書き留めただけにすぎない。

つまり、荒唐無稽で笑ってしまいそうなくらい独善的な書き方
だと一度、思えてしまうと。

素にかえってしまう。

たとえば、赤の他人、親兄弟、甥っ子姪っ子などに、自分の
かきものの存在を知らせて、胸を張ってそのブログの存在を
いえるのか?といえば・・・どうなんだろうって。

もし、そんな自信も無く、どこか自信が無いときは・・・。

匿名掲示板に書いている感覚で書いているだけでしたw
って、知らず知らずのうちに、どこか心地よく、心の奥底
にある黒いものを、ネットという海流に流していただけで

~歴なんていうものは、まったく役に立たないだけでなく
単なる自己満足、不平不満のオンパレードでしたって

笑うに笑えない、己自身の嫌なものから目をそらし
認めてこなかったものの集大成ってことになる。

だから、ついつい、人目をはばかり、書きなぐって
しまうんだなーって、思うことも・・・。

でも、裏表無く、聖人君主みたいに、汚れていない
綺麗な自分を無理に表現しても、どこかでそんな
虚勢なんて、崩壊するのは目に見えてしまう。

とはいうものの、自然体で楽な自分の姿を
ネット某体で表現しようとおもうなら、なにを
すべきで、何を捨てるべきで、捨ててはいけないのか。

って考えても、自分が納得できるような答えは無い。

たとえ、答えが出てこなくても、今までやってきたこと
を貫き通すしかない。

そう・・・

当たり障りのない、無難な書き物なんて自分には無理だって
あきらめて、受け入れることが大事なのかなって思う今日この頃。



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過去を振り返るとき。

 2010-01-23
ブログを書くことにより、日常生活をかけ離れた自分の中に
蠢く自己顕示欲、自意識過剰の産物と、言わざるを得ない
「醜い塊」を、長い間書き続けていると、書くべき道、その
方向性とやらを見失う。

俺の場合、一心不乱に書き殴るタイプではないので、有る程度
内容を吟味し、書く(入力)ようにしている。

ブログなんて書くの面倒だと思い始めると、己のブログの存在
すら忘れてしまいたくなる。そんな投げやりな気持ちになると
更新間隔があいてしまうw。

特定のジャンルに絞って書いているブログとは違い、限りなく
○○の落書きに近い内容のブログとなると、束縛とは無縁の
フリーダムと引き換えに、書くべき事を見失う。

そんなことを恐れると(単なる自意識過剰ブログであろうと)
今日は何を書くべきか、(誰に向かって書いているかは別にして)
今日は何を語るべきか、(何を語る?おっさんの独り言なんて誰も
興味ないよw)色々な意味で、痛々しいブログであっても、記事?
○○の落書きであっても、いざ、書こうとする際には、それなりに
考えて書く俺。

考えて書いているつもりでも、その主義主張とやらが、他人に受け入れ
られず、妄言、独りよがりの意見と片付けられるかもしれない。
それでもいい。

華やかさ、活気溢れるブログとは縁遠いブログ。楽しい、嬉しいといった
感情を封印し、味も素っ気も、不味いブログを書くほうが、俺なりに
楽でいいからwww。

もっとも望ましいこと、理想とすることは、何も考えずに
ありのまま、読み手の事なんて考えずに、書き殴り、過去を振り返らず
矛盾していようが、詭弁だと罵られようが、思いのたけを書くこと。

そして、どんなに人が来ない僻地ブログに、足を運んでくれる人が
いる以上、俺はブログを書き続ける。ブログの存在そのものが、否定され
厄介者、かわいそうな奴と思われても、それはそれ。有害電波を流し
誰かがそれを受信し、それを解析する・・・・。ふっ、人により
其の解析結果が、違うことを望む俺がいる。

こんなブログ?の記事を読んでくれる人がいる以上、書こうとする
意欲が減退しそうになると、そんなことを思うようにしている。
ブログの存在が、軽かろうと、重かろうと関係なく。

もし、数日後、数ヶ月、数年後、過去の書いた記事を自分が読み返した
ときに、おれ自身が、何でこんなことを書いたのか?と思い出せずに
書くんじゃなかったと、後悔するようなことを書いても全く意味が無い。

他人が見て、すらすら読める記事か、それとも、意味不明な古代文字を
解読する気分で読もうが、てめえの言いたいこと、書き残そうとする
過度な自己顕示欲があるからこそ、俺なりのブログを書くこと。


だとすれば・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

他人の機嫌を伺い、他人の顔色を気にしながら、他人に対して、自己の意見
を曲げてまで、同調する必要があるのか?と、また考える。

書いたときには、それで満足できたとしても、いつか振り返るときに
何の後悔もしないのか?と問うと・・・自信が持てない。

であったとしても・・・

書き手が、書いたことに対して、価値を見出そうとしようが、所詮
どこかの誰かが書いた○○の落書き程度の価値しかないwwwwwwwwww。

そして、どこからとも無く訪れた人が、読んで行った形跡を確認し、その
読まれた記事を確認するたびに・・・・・・。

何か得るものがありましたか?お役に立てましたか?とか・・役に立てずに
申し訳ない気分になると同時に、過去の記事を読み返すといつも思う。

おれの記事って・・・

相変わらず、無駄に長く、語ってるねーって思う。

塵も積もればとは言うが、書かないで後悔するのか、書いた後、後悔するかでは
意味がまったく違う。
書かなければ、誰の目にも触れず、憂い、危惧する材料にすらならないが
書いた本人が「些細なこと」だと思って書いたことも、後々・・・となるから
○○の落書き程度だと軽く考えて、自分自身の言葉、考えで書いたとすれば
誰かが読むかもしれない。って思いながら書かないと駄目って事に気がつく。

ま、もっとも、読み手の意図、どのように受け止めたのかまでは・・・。

そこまで、○○の落書き程度の記事を書いた「張本人」が責任を負う
必要も、考えて書くべきなのか?

おいおい・・・勘弁してって感じだけど ^^;;


ではでは。


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寝言。

 2009-12-23

ブログという表現方法で、自身の気持ちとか、ブログのテーマに沿った
内容を書き綴っている人間に対して、頑張ってくださいとか、期待しています
とか、楽しみにしていますとか、そういう声をかけることが、やる気を出させたり
目に見えぬ効果を生むかといえば、俺はそうは思わない。

むしろ、プレッシャーに感じたり、相手の期待にこたえなくちゃとか
相手が何を求めているのかとか、考えてしまう。

それならば、俺なら・・・どうするか。

楽しい気分にさせてくれて有難うって言うだろうな。

変な風に相手を褒めたり、持ち上げたりしない。見ず知らずの人間から
賛辞を送られても、本人が嬉しいかどうか以前に・・本人に失礼だと
思うから。

自分に出来ること、出来ないことは認めて

もし、大航海時代オンラインゲームというネットゲームユーザーが思い描く世界
感じている世界を「夢と希望に溢れた・・」世界として表現するのであれば
俺は逆のことを表現する。

他人と同じように、人の輪の中で、表向きは楽しいと思っている振りをして
内心は、冷め切って、嫌々周りに合わせてまで、同調する必要なんて感じない。

そして、知ったような口調で、知ったかぶりをして、判ってもいないくせに
やりもしないくせに・・偉そうなことを言ったってwwww。

結局、ぼろが出る。

そんな、判りきった結果を迎えるくらいなら、いっそのこと知らないほうがいい。
そのほうが、潔く受け止めることが出来ると思う。

大方のブログは、同じ方向を見て、ブログを描いているように思う。

嫌だね、そういうのは。

取り上げている題材が同じだとしても、皆いっせいに、同じことを取り上げて
同じようなことをする。

気味が悪いし、怖い。

そんな似たり寄ったりな事を描きたいとは思わない。むしろ・・・。

他人とは違うこと、違う意見、逆の意見・・ようは捻くれものの

協調性の無い人間ほど、「個性」などという「協調性の無い」
自分勝手な意見を言いたがるもの。

そうした行為、行動が、個性なのか、単なる独りよがりの身勝手な
人間の「言い訳」じみた負け犬の遠吠えなのかは・・勝手に判断
すれば、いいだけのことさw。
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今年の反省、そして、来年の抱負

 2008-12-31
他人の書くブログの良いところを見出すのは難しい。
さて、このブログを(褒めるとき)書いている人に対して
どうやって、声をかけようか(第一声の迷い)
どうしたら、その後の話しの展開を進めようかと
何度も考え、試行錯誤を繰り返した年。

だけど、面白い、楽しいブログにめぐり合ったときに

ふと考える。

なんでこんなにテンションが高い?
何故こんなに、ユニークな表現が出来るのか?って

冷静に考えたとき・・・・。


           怖くなる俺がいる。

その表現力の原動力は何?

ストレス?自己顕示欲?世の中に対する不満?
それとも、現実逃避?それ以外のもの?

原動力が何であれ、ネットゲームのブログで個性を
競ったって意味は無い。
元々、面白おかしく書くこと自体、無理がある内容で
あえて、不自然に、執拗に、異常なまでに夢見たいな
ことを書くことに、本人にとって何を意味するのか?って
一度でも、そのブログに対して、考えてしまうと、ある種
の恐怖を感じ取る。

だから、誰かが作って、運営会社が管理する世界で
起こった事、その世界で感じ取ったこと、体験したこと
全ての事を、ただひたすら、淡々と書いているほうが
楽で、無駄なテンション、生きていくうえで、生活する
現実社会の職を得る上で、役にも立たないスキルを
一生懸命に発揮しても、それは単なる自己満足の
世界とは、一線を画す事で、表現力のスキルの無さを
認めることになっても、それはそれで、潔いと俺は思う。
(自己弁護乙)

そして、興味本位で、そのブログを見ていた自分自身の
愚かさを思い知る時。

声をかけてよかっただろうか?相手に迷惑をかけていないだろうか?など
色々なことを考えながら、ゲーム内で色々な人を話が出来た年だった。

そして、色々なことを学んだ年だった。


今年は、それらを教訓として、肝に刻む。


少しばかり、そのブログを読み漁って、分かったつもりになって
調子に乗って、痛い目にあった年。

来年からは、ちっとばかり、考えて書きたい。と基地外が
言っていましたww。

HAHAHA^^

では、皆様、よい年をお過ごしください。

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キャラクターを愛するとは何か。弐

 2008-10-24
名前を変えて、ふらふらと歩いたとき、ふと、知っている人間が
そばを通ったとき、俺は考える。

HNを名乗り声を掛けるべきか?

いや、今はじめて声を掛ける人間の振りをして、声を掛けるべきか?

いや、それとも、軽く会釈して、通り過ぎるべきか・・

考えている間にも、刻一刻と、時間だけが流れていく・・・。

いやいや、さっさとこの場を去って、物陰から、石でも投げてやれ。
あっ、そうだ。tellでも入れて、嫌味の一つでも・・(お前は最低の人間だ!!)


まっ、人間の屑でも、思いがけない人物等に(ゲーム内で)出会うと
すでに「羞恥心」など無いと、確信しているはずなのに・・
未だに捨てきれない「迷い」

一貫性の無い自身の恥を晒し、相手に笑われるだろうと思うと、つい
素に戻ってしまう。
その素を相手に悟られないように、口調を変えて、相手の思い描いている
(印象に残っているであろうイメージ)とは別のイメージで、接するように
していた。

だが、そんな俺の奇行など、いくら名を変え、姿を変え、初めてあった人間の
「振り」をしていても、数回の接触をしたユーザーの中には、勘の鋭い人間や
俺自身が「ばれっこない」と、ゆがんだ性格に一言言ってやりたいと思っている
人間など星の数ほどいるだろう・・・し、耐性が出来ていて、またか~懲りない人
だなって思う人間もいると思う。

そして・・・そんな、経ちの悪い、悪趣味な人間には罰が下る。
「あんだ~でしょ?」「なにやってんの!!」とお叱りの反応や、「いくら名前を
変えても、判ってんだから!!あんたの正体は・・・・さん。いい加減にしなさいと」
って、叱責される。

当然の報いだな。

ああああああああああwwwww

ああ、なんでえ!ばれていたのか・・・

後はもう、平謝りするしかない。ばつが悪い。まさにそのとおりの展開。

まっ、tellを入れて、相手の返答する時間で、おおよその反応はわかる。
本当なら、軽く会釈して、さっさとその場を去ればいいんだが・・
いかんせん、過去にコンタクトを取った相手(BLに入れられた場合を除き)
ついつい、tellを入れてしまう癖が出てしまう。

こんな奇行を繰り返し、しまいには、恥をかくと、考えるもの。

え?反省?それとも、その奇行に対する処方箋?はあるのかって?
あるとおもうよ。

ゲームをやめるか、全くの別人として、ゲーム内で生きること。

てめえのキャラクターに、歪んだ愛情を注ぎ込めるだけの執着心
があれば、電脳世界に夢中になっていても、「そんなこと」など
一切意識せずにいられるだろうが・・・

じゃあ、何をするためにその世界にいるの?って思うことがある。

人によって、答えは違う。ただ、マネキンのスキル、スキル上げを
することに、労力を惜しまない原動力などを、シンプルに表現すれば
レベルが上がるごとに船も大きくなるし、より行動範囲が広がっていく。
だから、もっともっと、と際限の無い欲望、達成感を求めるのだろうと
・・・俺がいえるの其処まで・・だ。

だが、残念ながら、俺には、そうした探究心などない。
無論、ゲームに酔っているわけでもないし。
ましてや、動くマネキンに情など持たない。

俺にとって、マネキンは、その世界を映す目。
マネキンの名前なんて、その世界での番号。
個人的なtellなんて、相手と、コンタクトを取
るだけの単なる一つの機能に過ぎない。

そんな風に思っているからこそ、名前を変えることに
なんの躊躇なんてしない。
こだわり?そんなものは、そのときの気分で決める。

でもね、名前を変えても、中の人間は変わらない。
変わるはずが無いさ。
名前を変えて、放浪し、他人との接触で、思わず
ボロが出るのは、そいつのオリジナルは、不偏だと
いう証でもあるわけだ。
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二面性とは何か。

 2008-09-26
電脳の世界で生きるということは、品行方正で
他人様と一切、関わりを持たずに生きていけるのか
といえば、俺は否定する。
他人の顔色を伺って、他人様のご機嫌を伺いながら
生きていくなんて、真っ平ごめんだね。

ただ、俺の頭の中には、常に消しゴムが存在し
翌日には、話した相手との間柄は、常に初見であり
一定の距離を保つ。何度会話しようが、ブログ等の
外部との接触ツールで認識があろうが、常に
初見、一見さん。それでいい。

この距離感、存在の希薄感こそ、俺そのものであり
俺の対する心証もまた、常に、揺れ動くもの。
固定などいらない。
むしろ、不自然に相手に合わせたところで、すぐに
鍍金ははがれ、本来の俺を晒し相手に、不快な思い
をさせることになる。

それならば、俺に対する他人様の印象や、評価を常に
マイナスにしておいたほうが、気分的に楽で
相手もまた、心を許すに値しない相手と見てくれるから
簡単な挨拶程度で済む。これは合理的な価値観だ。

いい人のように振る舞い、接するのは、屑にでもできる。
ただ、親身になって、相手のことを思って、相手を気遣って
チャット等で接することは、屑にはできないこと。

勿論、相手の人格や、相手のプライバシーを侵害してまで
自称「いい人」なんていう詐称は、単なる基地外だ。

相手に対して、親身になるということは、裏を返せば
自分自身こともまた、相手に見せることになり、それが
出来ないようなら、単なる「思い込み」野郎に過ぎない。

長々と何が言いたいのかといえば、心を許すということは
相手のことも、自分自身ことも、互いに出来て初めて
可能になることなんだろうなと、思ったりする。

俺には無理だな。安っぽい台詞や、馬鹿丁寧な言葉に
一貫性の無いおれ自身の姿が隠されているからだw

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